住めば都

気が向いたら、好きな俳優、観劇記録や日常ごとを独断と偏見に満ちた表現で書き散らかしています。思考が合わないかたはごめんなさい。

プラトニック 終わったあとですけど…

 きちんと名前を呼んでもらえる沙良さんはどうでもよくて、名前が正確に確認できない青年のありようをほっとけなくて最終回まできました。終わってみるとやはり青年のためのドラマだったのだなぁと思う。

  第7回の感想のところで、うっすら心中かなぁと予想して半分外れました。最終回あのホテルのシチュエーションはね、元夫もいるわけだし、あの行動は発作的であり狂言とは言わないけれど、本気で死ぬ気ではないものね…。まぁ、一瞬くらいは死にたいと思ったかもしれない。どうしても紆余曲折あっても生きていて、これからもなんとか生きていくはずの女はおざなりでいいやと思い、青年はどういった心境で死んでいったのかを考えてしまうからね。これが男女どちらも死んでしまったらそれこそ見たひとそれぞれの解釈があまり増えず、ここまでココロを引っ張られはしなかったと思う。

 わたしゃこれを時間の関係上家族がいるリビングでヘッドフォンして一人で観ていましたが、そういう外的環境にも関わらず、1対1になれるドラマだったなと思うのだ。他にも視聴者がいるのはもちろんわかっているのに、それでも世界の中で自分一人がこれを観ているような感覚。感想をすぐ話したくなるわけではなく、温めておきたいプライベート感覚だった。

 彼女は娘の救世主になってくれるひとに、その都度その身を委ねてきた。バスルームでカミソリを使う状況は、自分でホテルのバーに佐伯さんを呼び出し、部屋に誘ったから。それもまた佐伯さんが外国で手術をしよう!と動きだしたからなのよね。

この分かり易さは娘のためを差し引いても異質。羞恥の気持ちがないというか。そういう気持ちをどこかに置いてきたひとに思える。トラウマがあるのでしょうね。

 青年が手術を受ければ、生きられる可能性が出てきたことは、初めて彼女の中での迷いだったのかな。まーさおばさんの生き方が、彼女とかなり相似形と考えると女性は愛より恋に生きることになるのか、と思わされる。それでも彼に生きていてほしいという思いは芽生えた。

ここまで書いて、NHKの公式からラストシーンや脚本家の意向についてのTwitterが流れてきました。まだきちんと読んでいないから先に思うところを書いておく〜

 終わったドラマや幕が下りた舞台の解説をあとでするのって、どうなんでしょう。役作りの楽しさ大変さなどは語ってもらっても良いし、最近舞台はそういうアフタートーク付きのチケットが増えてきました。でも、種明かしをするような内容のものは…。それは、ドラマやお芝居の中で感じさせるように製作すればよいことでしょう。

読んだ。

 ラストシーンの話って、皆観たあと感じたことではないのかな?それとも改めて言わないとわからないというご意見が殺到したのか?←相変わらずNHKのHPは見ていない(笑) それまで消化しきれなかったことがたくさん転がっていても、この結末にしたかったということは伝わっていると思うよ。この時はコンビニだっただけで、どうあれ青年が自ら死ぬ気持ちだったと。運命に対する考え方はひとそれぞれでいいと思うし、そこは作者の考えがあっても想像させる余地を残してほしかった…。

 こんなにぶーぶー言っていますが、ここまでエネルギーを使ったドラマは久しぶりで、それが剛さんのドラマだったことはとても嬉しい。。こういうドラマを野島さんに書かせる剛さんが、内包するあれこれについて皆惹かれているのだよ!