住めば都

気が向いたら、好きな俳優、観劇記録や日常ごとを独断と偏見に満ちた表現で書き散らかしています。思考が合わないかたはごめんなさい。

プラトニック  第8回

オネスティ。ストレンジャーから始まって、オネスティで終わりたいのね。

 

 ついにタイトルバックの血痕は寄せ集まって心臓の形となり、規則的な鼓動を打ち始めている。心臓=ハート?それだけではないと思いつつ、「僕のハートを差し上げます」という第1回でのメッセージを思う。

 青年と沙良さん、沙莉ちゃんのうち誰かひとりは必ず死ぬとは思っていた。野島作品だもの。でも青年がああいう行動を取るとはね…。前回、二人とも心中ではないにしろ、消極的な自殺願望があるように感じた。バスの中で同時にあくびをしたり同じ時違う場所で目を瞑らせたり、シンクロ具合を強調する演出だったから。お互いを見つめ合う二人だけの世界になってからは、どうしても青年のそばにある「死」を沙良さんも感じざるをえない。手術を受けないというゆるやかな自死だとは想像していたのに、積極的な自死だとはね。それもコンビニ強盗に襲われた一部始終が防犯カメラに映っていることもとっさに想定して、彼女がそれをあとから見ることも。

 これはひとによって結末が好みかどうかの意見が分かれるでしょうね、という王道の野島作品だった。見てきて良かった。剛さんのシリアスドラマをきちんと見るのは初めてで、きれいな身のこなしから漂う丁寧な心情表現が好もしかった。私は自分に引き寄せてお芝居やドラマを見ないので、感情移入や自己投影とはまぁ無縁です。なので、これは楽しかった!ミステリーというほどではないにしろ、すべてが明かされない謎解きの要素があるのが好きなのです。
 ただこれはラブストーリーの触れ込みのはずが、私にとっては男女の愛ではなかったよ。でもこれがきっと青年の考える愛なんでしょうね。余命を通告され、落ち込んだ自分を救ってもらったことに報いること。
 少し前に、何かを犠牲にすれば男女の愛が醸し出されるわけではないと書きましたが、本当にその通りになってしまって。自分がもうすぐ死ぬはずだという諦念に満ちた生活ののち、急に生存の可能性が高まりましたと言われても、嬉しいはずがなかなかのみこめない。生存より自分の考える愛を完成させることが優先されるなら、それは違うよね…。青年の自己愛が、自己犠牲というプラトニックな愛に閉じこもることで完結してしまった。このドラマでの「プラトニック」とは、そういうことなのでしょう。青年は沙良さんの幸せを願いながら、目の前の彼女を見ていない風情だった。
 結果的には女性が求める愛の言葉を吐かず、男性が考える愛は「行動がすべて」だという佐伯さんが言ったことの体現よね。青年は誰彼ともなく愛の言葉を吐きつつ(ちょっと勘弁してというセリフもありつつ)、さらに行動したものね…。鎌倉の浜辺で沙良さんの首を締めたのは、自発的というより佐伯さんに言われたからなのよね。締めてみて殺したいほど愛しているという気持ちを持てなかったのか。もしくはそれは自分が考える愛じゃないと確信したか。
 ハート(心臓)を捧げられたことで完結したプラトニックな愛。沙良さんは、子どもを救えた満足感に浸りつつ、自分のかつての恋心をたまに思い出し弄ぶのね…。
青年が調合したアロマの瓶の色などを確認したいなぁと思います。
また、ちょっと付け足すかもしれません。