住めば都

気が向いたら、好きな俳優、観劇記録や日常ごとを独断と偏見に満ちた表現で書き散らかしています。思考が合わないかたはごめんなさい。

昔の日々 日生劇場 6月14日

デヴィッド・ルヴォー演出の舞台は久しぶり、ハロルド・ピンター作品は初めて。

登場人物は三人だけ。男一人に女二人。麻美れい、若村麻由美堀部圭亮

結論から先に言うと話は私好みで面白かったけれど、日生劇場は大きすぎた。1330名収容ですものね。これに尽きるね。600名くらいの劇場が抑えられなかったのかな。

戯曲としての評価はそれぞれでしょうが、好きな役者さんがこれをやってくれるならまた観たい。二宮さんが男性役をやってくれたらうわぁと思うわ。

 二宮さんは両性併せ持つ雰囲気なので、身体的な説得力に欠けるかもしれないけれど、小さい劇場でなら合うと思うのね。それぐらい、登場人物が観念的で官能的でスタイリッシュな舞台だった。

 音がなくて(無声で)動きだけを見ていても洗練されていて、セリフよりこの戯曲の本質を普通に観客に表している気がする。セリフのほうが心もとなくて、ふわふわと虚実を漂う。

最近、たまたまセリフが登場人物としてのリアルさをきちんと乗せて丁々発止とやりあう舞台が多かったので、とてもリフレッシュできた。

 若村麻由美さん演じるケイティが美しくセクシーで、麻美れいさんのアンナの優雅さと台詞回しがここが日本だということを忘れさせてくれた。堀部さんのディーリィは女性二人が醸し出す張りつめた上でのある種の困惑に満ちた感情(一種のヒステリーに近いのか?)をすっと受けとめる風情で、さらっと返していてぞくぞくした。これが男よね。女性二人の衣装の対比と男性のスーツの着こなしも素敵でした。衣装がとても重要なアイテム。男性は神経質そうなのに、上着の脱ぎ方、脱いだ後の上着の放置の仕方が残酷な印象を残す。

上映後、演出の意図を書いた紙が1枚、ご自由にお取りくださいという風情でテーブルに置いてあり、なんだかなと思う。意図を書いてもらわないと観劇後不満を抱えるひとが多いの?と、そのように理解してほしいならそういうふうに演出すればすむことではないの?すてきな舞台だったのに、残念な気持ちを言葉にしてしまったよ。はじめからあからさまにすると確かに野暮ったくなるかもしれないし、謎が謎でなくなるのが戯曲の魅力を薄めるかもしれないしね…。

私はたまたまなのか、ケイティがアンナを殺したというセリフでああ、これは同一人物としての表現なのかもと思えたけど。そこから考えると不思議だったアンナの登場の仕方とかもね。ううむ。でも、どうとっても構わないのがこの戯曲の自由さのような気もする。観客がその自由さを許さないのかな…。