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住めば都

気が向いたら、好きな俳優、観劇記録や日常ごとを独断と偏見に満ちた表現で書き散らかしています。思考が合わないかたはごめんなさい。

ビッグ・フェラー 5月31日 昼公演

とてもいい天気過ぎて、すでに熱中症の話がでている。

ものごとがさくさくと進まないときや、停滞するときに大仰な理由はなくて単に物理的にやりにくい、気持ちが乗らない、とかなのにもっともな理由をつけてしまうよね…とは自分の個人的な状況のお知らせです。

ビッグ・フェラー観てきました。
内野さんのお芝居を今までできるだけ観てきて、がっかりしたことないなぁと。これって凄いことよね。テレビや映画は諸方の事情が絡み合ってややこしい印象で、舞台ってストレート。いい戯曲と役者と演出者とできればすてきな舞台装置があれば、その空間は忘れられないものを生むのよね。
世田谷パブリックシアターはここ何年か野村萬斎さんが芸術監督で、古典をからめつつご自身がやりたいことなのでしょうけれど意欲的だなと思う。
ビッグ・フェラーはIRA、NY支部のひとたちの話なので必要最低限な2カ所のセットで大筋を表現し、動きも暴力的な部分は極力少なくセリフ劇に近い。いつも武器が全面に出る代わりに言葉のブラックさが際立つ。最近ずっと海外の戯曲の舞台を観ているからか、そのやりとりが生むヒリヒリさに大分慣れてきた。
この話は30年に渡るのでその時間の経過をどう表現するかも工夫される。今は字幕で「1972年」等出せるから、こちらもそのつもりで観るけれどね。
あと、どうして舞台がNYなのかは、最後のシーンが9.11に絡むからか、絡ませたかったからか。アイルランド系アメリカ人からみたIRAにしたかったのかしら。
視点がそうやって本部から離れているせいで、観客自体もことの重大さを認識しつつも気持ちのうえで距離があるという登場人物に対して共感に近いものが芽生える。さらに演出も冒頭と後半の重要な部分の聖パトリックデイのシーンでコステロに「観客のほうを向いて」2度演説させることで、観客も登場人物と地続きに思えてくる。
IRAである登場人物の何に共感するのか?
IRAの一員になることは人生を棒に振ることだ、と冒頭で散々マイケルが言われている。そうであっても消えない消せない個人の「信念」なのかな。
もう一度観劇しますので、追記します。