住めば都

気が向いたら、好きな俳優、観劇記録や日常ごとを独断と偏見に満ちた表現で書き散らかしています。思考が合わないかたはごめんなさい。

死生観

こういうテーマに興味がないかたはおすすめしません。

 

今年も3月11日になり、3年前の自分の行動を思い出していました。確定申告時期真っ最中なので、大震災ということがわかっていなかった当時の雇い主も早めの終業という選択肢はなく、余震が続く中仕事をしていました。当時の職場にはテレビラジオの類いはなく、ビルの外から見ているひとが指をさすほど、ビルがしなって揺れていた。

インターネットのニュースを見た同僚の話から、次第に電話が繋がらなくなるかもしれないと、早めにお客様にお問い合わせのお電話したり。当時の職場が新橋のあたりだったので、終業後銀座までさまよって、地下鉄が動くまで数寄屋橋でごはんを食べたり、職場が入っているビルに戻ったりして時間を過ごしていたこと。東京宝塚劇場には、帰れなくなってしまったひとがロビーにいるのが外から見えたこと、寒くて通り抜けた帝国ホテルもロビーにひとが溢れていたこと。外をずっと歩くには寒すぎて、コンビニでカイロを買って同僚と分けたこと。ビルの防災アナウンスのおかげで大江戸線が動いていることがわかり、汐留駅に急いだこと。災害時の公衆電話の使い方を初めて知ったこと。(災害伝言ダイヤルではなく、お金がかからないこと)大江戸線がかつてない混み具合で、満員電車に慣れていないひとは乗ることもできなかったのに、自分は乗れてしまって、乗車率200%だな、などと考えていたこと。こんなに混んだことは生まれて初めてだったけれど、不思議と皆で励まし合って乗っていられたこと。最寄り駅で降りて地上に上がったら、大きな通りの車道まで人が歩いて帰っていたこと。目の当たりにする人の多さに、初めて大規模災害なのだと実感した。

こういう経験をもう一度することがないように願っている。そして、被災されたかたが少しでも以前の生活に戻れますよう、お亡くなりになった方が安らかにあってほしいと思う。

死生観なんて大きく出てみたけれど、たいしたことじゃないです。急にしりすぼみ。(笑)基本的には3ヶ月以内に死んでも困らない構わないように生きる、というふうに今までぼんやりそうしている。もう少し持ち物を減らしたいと思っているけれど、服と本とCDは困るね。

そして、延命治療は望まない。母を見ているとどんなに精一杯父を介護、看護してもひとは後悔するみたいです。もっと◯◯できたのに、と。できる限りやったと思うよ…。