住めば都

気が向いたら、好きな俳優、観劇記録や日常ごとを独断と偏見に満ちた表現で書き散らかしています。思考が合わないかたはごめんなさい。

「TRUE WEST」 〜本物の西部〜 世田谷パブリックシアター 

 内野さんの主演舞台「TRUE WEST」観てきました。チケットを申し込む時決まっていませんでしたが、15分の休憩時間中に、終演後演出補と主要キャスト二人によるアフタートーク(The New Groupでは「ダークナイト」というそうです)があることが告げられました。ダークナイトはお芝居の休演日に開催されるそうで、そこで灯りを落としているという夜と表現するらしいです。

 些細なことですが、アメリカ人の戯曲をアメリカ人の演出家を呼んで、日本で日本人キャストで上演するのね、と思わないではなかったのですが、テーマが「兄弟の対峙」ということなので今回あまり気にせず観ました。

内野さんが粗野な兄リー、音尾さんが典型的な秀才の弟、オースティン。宣伝用ポスターも無精髭もワイルドな内野さんに対して、麻シャツで日曜日のお父さんな音尾さん。

内野さんを比較的前(28歳)から知っています。その頃はまさにオースティンのような神経質な秀才という風情だったのに、大河ドラマ「風林火山」や山本一力さん原作の「あかね空」(2007年3月公開)でスキンヘッドの親分をやったあたりから(豆腐やさんとやくざの親分の一人二役でした)本格的に身体を鍛え始めて、JIN−仁− の龍馬で それが頂点を極めたように思います。

 

 話がそれました。1980年代のアメリカの風俗が忠実に再現された舞台美術で、1幕2幕と、これでもかとばかりに兄弟間に息詰まる緊張感。ほぼ舞台上二人芝居で、小道具を使いながらの機関銃のような科白の応酬という部分では、先週観た「かもめ」との対比を考えると興味深いです。

 

アメリカ西部、南カリフォルニアのロサンゼルス郊外。シナリオライターのオースティンは、アラスカ旅行に出かけた母の家で、留守番をしながら映画の企画を練っている。そんな彼の前にふらりと現れたのが、5年間音信不通だった兄のリー。オースティンは一流大学を卒業し、すでに妻子のある身だが、リーはならず者で、闘犬の試合やコソ泥をしながらその日暮らしをしていた。自らの企画を売り込むため、ハリウッドのプロデューサーであるソール・キマーと会う約束をしていたオースティン。

何とかリーを家から遠ざけるものの、カネの匂いを嗅ぎつけたリーは、頃合いを見計らって家に戻ってくる。

そこで、ソールに、「いい西部劇のストーリーがある」と持ちかけるリー。するとソールはオースティンの企画を差し置いて、リーのストーリーに興味を持ち始める。兄弟の立場はすっかり逆転。

(パンフレットより一部抜粋)

 

 

1幕は、実家に戻ってきたのに、明らかに場違いな雰囲気を全身から醸し出しているリーが、引け目を感じている弟を脅かしたり、すかしたりして観客に兄の目的は何なのだろう、やはりカネなのかと思わせます。ソールは菅原大吉さんで、兄弟の関係に化学反応を起こす触媒の役割。あまちゃんで見せた気のいい旦那さんはどこへやら。金髪混じりの長髪で、ピンクのスーツに身を包み、両方の小指には指輪が。生真面目なオースティンの企画を充分持ち上げつつ、粗野なのだけれどセクシーで魅力的なリーの、荒削りな西部劇企画に乗り換えます。

 

 2幕は、1幕を鏡で写したように反対な展開。1幕ではどちらかと言うと押され気味だったオースティンは、時間をかけて練った企画をソールにボツにされて、さらに兄の企画を具体的なシナリオ準備稿にするように協力を求められます。プライドをずたずたにされ、家にあった酒をがぶ飲みして完全で出来上がった弟が、タイプライターも満足に扱えない兄に対して、かつてなく言葉は優しくも粗暴に振る舞います。家から出て行った酒浸りの父の話、砂漠で暮らすという兄への憧れ、準備稿が完成した暁には、前金も手に入るし、自分も砂漠へ行くから一緒に連れて行ってくれという有様。

 家が大荒れになった状態で母が帰宅。単なる激しい兄弟喧嘩だと思う母は、少々とりとめのないことを言いながらすぐ家から出て行ってしまいます。次第に自分を制御できなくなっている弟にかすかな恐怖を覚え始めた兄は、砂漠には連れて行かない、と言い放つのですが、それがきっかけでオースティンは電話コードで兄の首を絞めます。自分が希望することを叶えてくれないからだ、と自らを正当化し兄を責めますが、徐々に力が入り兄が動かなくなります。

そこで、弟我に返り、兄ゆっくり起き上がり、終演。

 

幕は降りず、二人で立ち上がった時に、内野さんから音尾さんの手をがっちり掴みお辞儀をしていました、そこがとてもよくて、ぐっときました。出演者が手を繋いでお辞儀をするのは珍しくもなんともないのですが、今回兄弟という関係設定で、あからさまにいろいろなものを露呈し、気持ちのやりとり、体力的にも高エネルギーを使う戯曲なので、互いの無事生還を再確認でしょうか・・・。舞台のよさですよね。私が内野さんの舞台が好きな理由は、ここにあるのかもしれません。ドラマがいけないというのではないのですが、うまく力を抜くとか、現状維持という考えがないひとなので、舞台で発散されるオーラを浴びたいのです。彼のTVドラマは未見もありますが、舞台は、あまりにも苦手な演目以外は欠かさず観たいものです。

 

改めて。舞台上をものが飛び交い、はっきりお互いに執着し、精神的にも遠慮なく追いつめ合うアメリカ人の話だとは思いつつも、まだ楽観的な私は具体的に生きるの死ぬのという状況までいくとは思っていなかったのです。でも兄の首を絞めるにいたり、ああ言葉だけではなく、いのちのやりとりまであるのね、と。

今回演出家スコット・エリオット氏は、1980年代の本当のアメリカの南カリフォルニアの家をお目にかけたい、そこでの時代の匂いを感じてほしい、アメリカ人の真髄を内野さんたちが発見するのを導きたいとお話で、まさにテーマは普遍でしたがアメリカ人が作った話に素直に思えました。上演中、余計なことを考えさせず疾走感があるのです。相手からの飛び散った感情をひねらず受けとめるお話でした。