住めば都

気が向いたら、好きな俳優、観劇記録や日常ごとを独断と偏見に満ちた表現で書き散らかしています。思考が合わないかたはごめんなさい。

ココロ見 「自分」後編

つよしさんが、自分探しをしている設定での番組後編。武術研究者の甲野善紀さんに身体とこころについて尋ね、アンドロイドを研究している先生とヒトの想像力でのコミュニケーションを考えます。

 甲野さんは、ヒトは四足歩行していた名残が色濃くあり、未だに二本足歩行に完全に適応しておらず不安定だと。そこで、宗教芸術などは、二足歩行が遠因の不安定さを解消するために生まれたものというお考えの持ち主のよう。

 

 二足歩行の不安定さを日々実感しているかはさておいて、「不安」が人を動かす原動力であることは最近よく考えさせられます。というのも、私も先日仕事がらみで不安を覚えた時に、どうしてもそれを放置できず、できるだけ速やかに解決しようと試みたからなのです。

 

「母さん助けて詐欺」という名前に変わった「オレオレ詐欺」も、なぜあんなにも振り込んだり、お金を渡してしまうかというと「不安」を解消したいからだと。

 不安を抱えておけない、不安に慣れないことが、仕事においてお客様からの注文の仕方に表れたり、多くのことの遠因となっているらしいです。

 

 ひとの実際の行動は、頭で経済的や有利なこととして理解してもその通りには動かないもので、今も昔も、不安や欲求の解消に先に向かうように感じます。ひとってあまり変わっていない、だから昔のひとが書いた物語に素直に共感できるのだわ、とも思えて。急に昔と今が地続きになったような感触が残りました。

   結論を出す気はさらさらないのですが、今のところ「自分」は他者との関係性でのみ感じられ、その場限りというイメージに近づきつつあります。それは役者が演じる「役」と、どう違うのかしらとぼんやり考えています。